サーフィンライフとは
たぶん海という自然と真正面から向かい合うスポーツだからだろう。サーフボードという板一枚で、波に遊ばせてもらうのがサーフィン。海という自然の前では人間は無力だから謙虚になることが出来、自分の存在の小ささを感じる。小さいことは悪いことではなくて、自分の正しいポジションを感じることが出来て、良い意味で力を抜いて生きていくことが出来る。
人間社会、特に東京の中でだけで生きていると、人間だけで世の中が回っているような勘違いをしてしまう。海で、波待ちしていると自然と一体化することが出来る。そうすると、自然の中の一部として、自然な感性を大切にして、気持ち良く生きていくことの大切さを実感できる。みんながそうなれば、世の中ももっと良くなるだろうと思う。オアフ島の西にあるマカハでは、ケアウラナファミリーがアルコールや麻薬から子ども達を守るために海に導く活動をしている。その活動からサーファーの道を歩み始めた子ども達がたくさんいる。
また、サーフィンをすることで、身近な自然に興味がもてるようになり、自然と付き合っていくことの大切さを意識することが出来るようになるのかもしれない。サーフボードをはじめて作った男の高橋太郎さんは、房総で米や野菜を自給しながら暮らしている。御宿での無謀な挑戦(米作り)には、地元のサーフショップが参加してくれた。
とにかくサーフィンは楽しい!
難しいことはいくらでも言えるが、実は、これがサーフィンライフの本質かもしれない。
もう、10年以上前だろうか、FMラジオで有名なサーフショップのオーナーのインタビューがあった。サーファーはノースモーキングだという。こんな楽しいサーフィンを阻害する(心肺機能を落とす)タバコを何で吸う必要があるのかと。若い頃には、予選なしで様々なサーフィン大会に出ていたにもかかわらず、その当時は、予選会から勝ち上がっていかないと本選には出られない。息子はいきなり本選だが、それでも楽しいと。
サーフィンという、とても楽しいものと、付き合って暮らすのがサーフィンライフだ。楽しくて、気持いことを大切に生きていく。これって、とても難しいことのように思えるが、出来ないことではない。スポーツだ、遊びだと軽く考えずに、自分の人生にとって大切なものとして前向きに取り組んで行けば良い。重たく考える必要はない、大切なものを前向きに考えるだけだ。こんな時代だからこそ、自分自身に、何か一本筋を通すことが必要なのだ。その筋が、サーフィンであれば、サーフィンライフがスタートする。